旧軽井沢銀座商店街を通り抜けてしばらく歩いて行くと左手に教会が見えてきます。ここが軽井沢最古の教会「軽井沢ショー記念礼拝堂」です。この「軽井沢ショー記念礼拝堂」は、カナダ生まれの宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー師によって創設された教会です。軽井沢の教会や別荘の原点はここです。
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入口の看板が目印
旧軽井沢銀座商店街を上って行き、商店街を通り抜け、さらに上って行くと「軽井沢ショー記念礼拝堂」があります。旧軽井沢銀座商店街にある「つるや旅館」から約150mぐらいでしょうか。木漏れ日の中にある教会で、とても爽やかな雰囲気です。
入口を入って左側に方位を指すものがあります。方角は北を指していると思います。これは何でしょう?台座に彫られている「PRO PATRIA」は「祖国のために(ラテン語)」、「OBIIT A.D.」は「死せり(ラテン語)」、「没」という意味らしいですが。。。
アレキサンダー・クロフト・ショー師とは?
入口を入って直ぐの所にアレキサンダー・クロフト・ショー師の銅像が立っています。
アレキサンダー・クロフト・ショー師は、英領カナダのトロントで1846年に生まれました。1873年(明治6年)に宣教師として横浜に派遣され、慶應義塾の近くに住んでいました。当時、福沢諭吉の子供たちに英語を教えていたそうです。
1885年(明治18年)頃にリウマチを患っていたアレキサンダー・クロフト・ショー師は、たまたま訪れた軽井沢に魅了され、毎夏、この地に訪れるようになりました。軽井沢の地の事を「屋根のない病院」と絶賛したそうです。これ以降、軽井沢が外国人の間で有名な地になりました。
翌年の1886年(明治19年)には、家族も伴って軽井沢の家を借りて夏を過ごすようになりました。1888年(明治21年)には、軽井沢の地に自ら別荘を建てました。これが軽井沢の別荘の原点です。
軽井沢を国際的な観光地/別荘地になったのは、アレキサンダー・クロフト・ショー師が日本に来て、たまたま軽井沢の地を知り、外国人に広めたおかげですね。
正面に軽井沢ショー記念礼拝堂
現在の「軽井沢ショー記念礼拝堂」の建物は1895年(明治28年)に建てられたものです。それから1922年(大正11年)まで増改築されました。三角形の屋根のシンプルな建物ですが、明治時代だと考えるとなかなか凄いですね。
ウェディングの会場としてもおすすめ
建物の右側を進んで行くと鐘があります。挙式の時などに鳴るんですかね?ちなみに、「軽井沢ショー記念礼拝堂」で結婚式をあげることができます。
「軽井沢ショー記念礼拝堂」は、イギリスのセントポール大聖堂やウエストミンスター寺院に代表される英国教会です。英国教会といえば、結婚する前の半年間は毎週教会に通う必要があると聞いた気がします。半年経っても揺るぎない心を確認するようです。
半年間、毎週教会に通うなんて無理って方もいると思いますが、「軽井沢ショー記念礼拝堂」は一般の方の挙式も受け付けているので心配ご無用です。
「軽井沢ショー記念礼拝堂」は教会ですので、ここでは挙式のみで、披露宴を行う場合は他の会場が必要になります。同じ旧軽井沢にあり、同じく歴史と伝統のある「万平ホテル」を披露宴会場として、私はおすすめします。
万平ホテルから「軽井沢ショー記念礼拝堂」までは少し距離がありますが、今の旧軽井沢には人力車がありますので、これで移動するのも良いかもしれません。
軽井沢の最初の別荘「ショーハウス記念館」
教会の鐘の隣を通り過ぎて、さらに奥に進んだところに「ショーハウス記念館」があります。この建物は1986年(昭和61年)に復元されたものです。軽井沢の別荘のはじまりの建物です。「ショーハウス記念館」は建物の中に入ることができます。
記念館なので、いろいろと展示があります。木造の建物に木造の家具で歴史を感じますね。
写真を撮るならこの角度かな
入口を入って、アレキサンダー・クロフト・ショー師の銅像から「軽井沢ショー記念礼拝堂」の方向に撮るのが一番おすすめです。この角度の写真は、軽井沢町内のポスターなどでよく見かけるかもしれません。
さらに奥へ行くと「矢ケ崎川」
「軽井沢ショー記念礼拝堂」のさらに奥へ進んで行くと右手に川が流れています。川が流れる音を聞くと心が落ち着きます。
この川は「矢ケ崎川」です。矢ケ崎川は、ここから万平ホテルの近くの別荘地帯を通り、軽井沢プリンスショッピングプラザの横を流れていきます。さらにゴルフ場の脇を流れていき、やがて、泥川、湯川へと合流していきます。