旧中山道の碓氷峠の頂上に神社があります。ここは信濃と上野の国境、現在は長野県と群馬県の県境にある日本でも珍しい神社です。
江戸時代、安中藩は藩士の鍛錬のため、安中城の門から碓氷峠の熊野神社まで走らせた「安政遠足」と呼ばれる競争がありました。この事はNHKのタイムスクープハンター「風になれ!マラソン侍」(2011年6月30日放送)でも取り上げられました。
目次
旧軽井沢からレトロ風のバスで行けます
旧軽井沢(万平ホテル、軽井沢観光会館、つるや旅館などのバス停)から「旧碓氷峠・見晴台行き」のバスがあり、この一昔前の雰囲気のオシャレなバスに乗って熊野皇大神社の麓まで行くことができます。
いざ熊野皇大神社へ
旧中山道の一番標高が高い場所付近に熊野皇大神社があります。では、神社に行ってみましょう。
神社に入る
ここが熊野皇大神社の入り口です。
この階段を上って行くと熊野皇大神社があります。鳥居を潜って上って行きます。
神社の中央は県境
この通路の真ん中が長野県と群馬県の県境になっています。これは階段、門と、真ん中はずっと県境です。左側を歩けば長野県、右側を歩けば群馬県です。
手水舎で清める
入り口を入ってすぐ右手に手水舎があります。手と口をすすいで、身体と心を清めてから行きましょう。
階段を上って門を潜る
熊野皇大神社の社殿までは階段を上って行きます。
階段を登ったところの門に熊野皇大神社と書かれています。この門の中心が長野県と群馬県の県境です。
神社でお参り
門を潜ったら神社に到着しました。そこには、お祈りする所が長野県側と群馬県側の2つがあります。よく見ると、それぞれで参拝の方法が少し異なるようです。説明があるので見ながらお祈りしました。
お賽銭をお納めください。
ただいまより参拝いたします。と
小さく一礼いたします。(15度)
三歩前へ進みます。
どうぞ〇〇〇〇をお願い申し上げます。と
深く二礼いたします。(90度)
次に二拍手いたします。
ありがとうございました。と
深く一礼いたします。(90度)
失礼いたします。と
小さく一礼いたします。(15度)
次にお賽銭を納めましょう。
二拝(二度深く、おじぎ)
二拍手(二度元気よく、拍手)
「祓え給え、清め給え、守り給え、幸わえ給え」と心の中で三度唱える
一拝(一度深く、おじぎ)
※おじぎは90度。
正面に向かって左側が長野県側の熊野皇大神社です。熊野皇大神社の御守りやお札が売られています。
正面に向かって右側が群馬県側の碓氷峠・熊野神社です。熊野神社の御守りやお札が売られています。
八咫烏の神社でお参り
長野県側の熊野皇大神社の裏手の方に行くと八咫烏社があります。八咫烏は熊野国から大和国への道案内をしたカラスと言われており、足が3本あるカラスです。日本サッカー協会のシンボルマークにも使われており、サッカー日本代表のユニホームにあるマークのカラスは八咫烏です。サッカーの日本代表のマスコットをよく見ると、しっぽら辺に3本目の脚が張り付いてますね。
運矢で運試し
さらに奥に進むと運試しの運矢というのがありました。四角い枠に投げ込めれば運がいいとされています。
崖の上から崖の下にある四角い枠を目指して運矢を投げ込みます。何となく入りそうな。。
こちらが運矢です。羽が付いているので真っすぐ飛ぶと思います。
信濃の語源といわれる「科の木」
パワースポットの神木「科の木」です。樹齢850年以上の木と云われており、一説では「信濃の国」の語源は「信濃は科野なり」と云われています。「科」の語源は「結ぶ・くくる・しばる」と云われ、開運、縁結びのご神木とされています。
群馬県側の碓氷峠・熊野神社の裏手に行ってみました。伊達政宗が碓氷峠を超える際に詠んだとされる句がありました。
群馬県側の碓氷峠・熊野神社には古鐘などが置かれていました。約720年前の鐘らしいです。
門の手前にある石の風車
階段を登った神社の入り口に「石の風車一対」が長野県側と群馬県側に1つずつあります。軽井沢問屋の佐藤家が正面の石だたみを増築した記念に、佐藤家の紋章源氏車を刻んで奉納したものらしいです。
階段を下りて戻ってきた
神社の階段を下りてきました。ここにもお守りやお札が売られています。
碓氷峠の元祖名物ちから餅
神社から通りを挟んで反対側に創業300余年のちから餅のしげの屋があります。ここもお店自体が長野県と群馬県の県境にあり、碓氷峠名物のちから餅を食べることができます。このお店の税金はどっちに払ってるんですかね。。。